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    何故『美人』『不細工』言う概念が存在するのか?

    ここでは、「何故『美人』『不細工』言う概念が存在するのか?」 に関する記事を紹介しています。
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    読者様からのコメント

    タイトルなし

    何故『美人』『不細工』言う概念が存在するのか?

    それは、美人と評価され、不細工と評価される人間が存在するからだ。

    1人の人間に美人と評価されても、もう1人の人間に不細工と評価されれば

    その人の評価は賛否両論となる。

    ところが、美人と評価する人より不細工と評価する人が多ければ

    その人の評価は『不細工』となり、不細工と評価する人より美人と評価

    する人が多ければ、その人は『美人』となる。

    これが、美人と不細工の概念だ。

    つまり「美しい」とは、主観であり、人の好みであると言えるが

    「美人」とは、主観、人の好みである「美しい」と言う物差しによって

    圧倒的多数の人間を魅了した人間のことを言うのだ。

    つまり、『美人』は主観ではなく客観的な概念であり、『美人』に序列・優劣

    は存在すると言うことだ。

    したがって、あらゆる面において西洋が東洋を支配している現代の世界では、西洋人こそ

    最も優れており美しいと言えるだろう。
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    コメント
    この記事へのコメント
    東洋人が管理人とかが言うところの支配をしていたら、美人の定義も変わり得たわけだ
    所詮は、その程度の価値観なんだよね
    美人なんてのは普遍でなければ不変でもない
    2010/05/29(土) 13:18 | URL | ジャアアアアアップ #-[ 編集]
    >何故『美人』『不細工』言う概念が存在するのか?
    それは、美人と評価され、不細工と評価される人間が
    存在するからだ。
    1人の人間に美人と評価されても、もう1人の人間に
    不細工と評価されればその人の評価は賛否両論となる。
    ところが、美人と評価する人より不細工と評価する人が
    多ければその人の評価は『不細工』となり、不細工と
    評価する人より美人と評価する人が多ければ、その人は
    『美人』となる。
    これが、美人と不細工の概念だ。

    >つまり、『美人』は主観ではなく客観的な概念であり、
    『美人』に序列・優劣は存在すると言うことだ。

    何か凄い暴論ですね。
    「美人」「不細工」と評価する人数が多いほうの区分になる、という
    ブログ主の主張だが、個人の美醜の好みや評価者の人種や経歴
    などにより、同じ人数で評価を行ってもバラツキが出る時点で、
    この評価方法は客観的などではなく各評価者の主観が入るもの
    だろうし、何より何人の評価を集めれば問題の無い評価結果が
    得られるのが、全く指定されていない。

    こんな穴だらけの理論を堂々と主張されても、ねぇ。

    ---------------------------------

    >したがって、あらゆる面において西洋が東洋を支配している
    現代の世界では、西洋人こそ最も優れており美しいと言える
    だろう。

    で、結論がこれですか?
    「支配」も何も、現在世界の何処に西洋人が東洋人を政治的、
    経済的な点で支配している状況がありますか?
    それに、人種や洋の東西を根拠にして、何とか西洋人、白人を
    持ち上げようとするブログ主の言動は、涙ぐましいまでの努力
    を感じますが、同時に「また馬鹿なこと言ってるよ」という
    呆れと憐憫を感じずにはいられない哀れみを覚えますね。
    2010/05/29(土) 13:40 | URL | 007 #LkZag.iM[ 編集]
    ここで使われている「客観的」という言葉、果たしてこれは正しいのだろうか
    客観的とは何も大多数の人間の意見を指すものではないように思われる

    というのも
    辞書によれば、

    1 主観または主体を離れて独立に存在するさま
    2 特定の立場にとらわれず、物事を見たり考えたりするさま

    とある
    2は今回の話は関係ないだろう
    まぁ、読者様は管理人側という立場を持っているのだろうが、この文章に限って言えば、人間全体の話を論じているし、排する
    1から、次いで主観について引用させてもらう。
    引用元はヤフー辞書。まぁ、どこの辞書も大抵同じように書いてあるのではなかろうか。

    1 表象・判断が、個々の人間や、人間間の心理的性質に依存しているさま
    2 自分ひとりのものの見方・感じ方によっているさま

    これから独立しているものが、「客観的」と呼ばれるものとなるわけだ

    では、美意識に関して言えばどうか
    そもそも、これは読者様が書かれているように一人一人が評価をするもので、賛否両論となる
    が、民主主義にならって多数の意見が概ね正しいかのように言われるため、「美人」と「不細工」というのは決定される、決め付けられる
    それは世の流れにあるものだろう、普遍ではないし不変でもないけれど

    これを読者様とやらは客観的概念と評したが、それは違う
    辞書の文句を適用させたならば、
    この概念はどう頑張ったところで主観の域を出ることはない
    主観から独立することは決してないのだ

    >「美人」とは、主観、人の好みである「美しい」と言う物差しによって

    そう、その物差しによって決まる
    読者様もそう書かれているように
    つまり、主観を排することが出来ない
    独立できないのだ

    そう思うのが多数ならば、そういうものとなる
    だがそれは「客観的」とは言えない代物だ
    言ってしまえば、「大多数がそう思った」だけのことだし、「主観の集合」とも言えるだろうし、はたまた「主観が合致した」だけのことなのだ
    それと「客観的」を同一のものと思うのは、勘違いではなかろうか
    主観が個人の考えであるから、客観は集団の考えだと思っているのではないだろうか
    しかし、違う
    集団にも自意識というものは存在する
    そういった意識が介入しないのが、真に客観的と呼べる代物なのではないだろうか
    雷を恐ろしいと思う人間がいる
    それは思わない人間よりも大多数いることだろう
    では、「雷=怖い」は「客観的事実」となりえるか?
    雷は雲と地表の間に起こる放電現象である
    これは客観的事実と言えるだろう
    個人の考えはなく、事実だけを、現象の仕組みだけを語っている

    「美」は主観から脱することは出来ない
    「客観的」な「美」は存在しないのだ
    2010/05/29(土) 14:04 | URL | AAA #-[ 編集]
    >この評価方法は客観的などではなく各評価者の主観が入るもの
    だろうし

    と、007氏に先を越されたな
    長々と書きすぎたか
    2010/05/29(土) 14:06 | URL | AAA #-[ 編集]
    管理人、ぶっ飛び理論おつかれ!
    2010/05/29(土) 18:33 | URL | anti #-[ 編集]
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